ありがとう

nanbo62004-03-28

今まで読んでくださった、みなさん。最終回です。書く時刻が遅くなりました。自分のページなのにつながらずに、書き込むことができませんでした。アクセスが殺到していたようです。昨日から今日までに100回以上のアクセスがあって、どうもつながりにくかったようです。小さな学校の小さなページを続けて読んでくださって、ありがとうございます。今日で更新を停止して、個人のもともとの日記「ぼくのそら日記」に戻ります。
昨日も今日も、なんとなく南保小学校に行ってしまいました。ゆっくり見ておきたいと思ったのです。近いうちにこの校舎がなくなることを感じ、できるだけ覚えておこうと思ったのかな。
この学校に来て、本当によかった。心から、そう思います。
いろんなことがありました。ここに来て、教育観と人生観が変わりました。これでも、最初来たときは、けっこう悩む日々だったんですよ(笑)。でも、ほんと、おもしろかったなぁ。

子ども

学校は子どもがいるから学校です。子どもたちが素直であるから、伸びていくのでしょう。やっぱり子どものチカラですね。学校文化にはバイオリズムのように上り下りがあります。ゆっくりと下がっていたのですが、今年の6年生も、とてもチカラがありましたので、また上向き始めたと思っています。新6年生も期待できるので、最後の1年、きっと、「いい学校」で終わらせてくれることでしょう。やっぱり、子どもに期待!

なによりも、たくさんの先に異動された先輩が、それぞれの個性を発揮して、南保小学校をベスト・スクールにしたいという熱意にあふれていました。H校長、N校長、T教頭、H先生、M先生、I先生、N先生、Nさん、Oさん、Iさん。みなさん個性的でした(現行メンバーも)。誰もが、「うちの学校1番いいね。」と本気で思っていることがありました。

授業の見直し

国語科の指定を2年間、受けました。合い言葉は、「行事や生活はそのままで、やる」でした。もともと授業については、飛び回って研修会に参加していましたが、この2年間は辛くもありながら、とても南保小学校にとって、よい2年間だったように思います。

行事の見直し

教師の委員会が整理されました。当時の広田校長の元、特別活動委員会も動きました。そのときに、遠足を企画型に、スキー学習をやめて、冬の宿泊学習ができました。そのことにより、子どもが中心であるという認識が高まったようです(あたり前なんですが)。だんだん、学校中が手を出さないで見守るという学校文化がうまれていきました。

変わる

よく、「どういうふうに変わっていったのか?」と聞かれます。
たぶん、特性がなかったように思います。南保の森はあったけど、だれも気にしていなかったし、行事や活動も、前任校の方が充実していました。2年目に、野島京子教頭が来られ、「縦割り班」が始まりました。小規模校ではよくあるのですが、上級生と下級生のつながりがないので、「威張り合い」が多かったのです。異学年、異質な集団で学ぶ意味を感じました。たぶん、うちの宿泊なんかは6年生だけではうまくいきません。4年生や5年生がいるから、次年度への連続性が生まれているのです。すると、現在の能力別の授業がいかに意味のないことであるかわかります。得意な子、不得意な子がいるから、学び合えるのです。この野島教頭の授業は素晴らしく、誰も歌わなかったのに、業間の「ひびきタイム」の後には、子どもたちが歌って踊りながら、講堂を出て行くのです。変わったなーと思ったのはこの頃です。