幻の卒業制作

 平成7年度。南保に来て,最初の子どもたちと作ろうとしたのが,竪穴式住居だった。当時,今では高くて手に入らない「茅(かや)」も小型の竪穴式住居一棟分くらいなら,何とかなる算段がついた。県西部に既に作ったことがあるという小学校の先生がいた。このヤマモト先生とも出会って,いつでも行けそうな準備ができた。
 これを恥ずかしくも,すっぱりやめた。学級がそういう状態ではなかったからだ。いい子もたくさんいたが,何かと学級に問題が多かった。その気になっていた子たちには悪いことをしたと思っているが,当時の子どもたちは受け入れてくれた(と思っている)。目先の問題を無視して,都合のいい楽しいことに進むことはできなかったのである。
 この頃の南保小は,悪しき伝統がまだあって,学校には嫌なことがよく起こった。そもそも6年生というのは,けっこう難しい発達段階の時期である。きっと,多くの6年教室はいろんな問題を抱えていることであろう。それが,本来,ふつうなのかもしれない。
 たまに来るユミやコウジの年代である。以前,演技の指導に高校生になって来てくれた。今年,成人式だとメールが入っていた。この時は,短時間でできる白黒の貼り絵を卒業制作とした。今は,職員室横に飾ってある。
 さて,学校の存続問題が棚上げ中で,わが現在の6年教室の卒業制作は止まっている。ここまで来たら,まあ,何とかなるだろうと思っている。
 いよいよ明日から3学期。よく子どもは3か月と言うが,大間違いで,残りは2か月である。卒業を楽しめるのが6年生の特権である。ただでは卒業できない。いよいよ卒業が始まる。
 明日から,ふつうの6年教室日記に戻ります。