学んだことは

宿泊のふりかえりを行う。一人一人がふりかえって,スタッフでふりかえって,全体で自分のことを話す。いわゆる体験学習法で進める。6年生になると,このふりかえりの意味を知っている。
イグルーを造ることで感じたり,考えたりしたことを話すが,学んだのはイグルーの造り方ではないのです。それは知識。イグルーを造るとき以外に役立たない。とすると,イグルーの造りを今後しない場合に,何事にも生きない知識ということになる。
アキヒト君は,「イグルーを作るときには、土台をちゃんと作らないと崩れてしまう、同じように仕事も基礎をちゃんとしておかないと崩れてしまう。スタッフやみんなで何かをするときには,当日だけがんばってもうまくいかない。それまでに,ちゃんといろんなことを決めておかないとうまくいかない。」ということを話してくれました。
この点,6年生はさすがだなぁと思います。サバイバル的な活動のインパクトが目立ちますが,ボクたちが願っているのは,あくまで活動から何を学ぶかということです。そして,自分と違う感じ方や考え方を知り,それを受け入れたり,もっと高めようとすることなのです。
この日,子どもたちから「協力」という言葉が何度も出てきました。それは,今までの軽く使っていた「協力」という言葉とは実感と意味を伴って内面に響くのです。
一見,遠回りの手法ですが,デューイの言う「learning by doing(為すことによって学ぶ」の本来的な意味だろうと考えます。講義やドリルでは学び得ないことであり,学校の本来の学びだろうと思います。
4年生のショウは,「やらなくちゃいけないことがあったのに遊んでしまった」と言いました。「そのことを君はどう思う?(どうしようと思うの)」とつっこみました。それで終わりなら学びはないでしょう。また,懸命に働く仲間の横で,やりたくないとダダをこねるのです。そこで起こったことをいかに考え,どう思っているのかを話すことから始まると思うのです。
ショウは「そこまで考えていない」と言いました。そこを考えないと意味がないのです。教室に戻っても4年担任がそのことについて,ショウとみんなで話し合います。
くどいでしょう。でも,人ってなかなか変容(向上的に)することは,こういった自己哲学に向かい合わないかぎり変わらないようです。だから教育はおもしろくも難しい。