終わりの前

ようやく手紙も書き終わりそうで、明日が見えて来た。もっと早くやればいいのだが、これがなかなかできない。実感がわかないのに書けないものである。しかし、明日、卒業式の実感は、まだ、ない。学校もずっと慌ただしく、準備は整っているが、あまり実感がないというのが、みんなの感じではないだろうか。
考えてみれば、担任というのは、不思議な仕事で、僕の2年間は14人を育てるためだけにあった。もちろん、小さな学校なので全校規模で、みなさん全員の子どものことを考えているのだけど、毎日、教室があった。卒業すると、次の日からは6年教室で一人で仕事をすることになる。そのときになって初めて、「あれ、なんで来ないんだろう。」と卒業を実感するものなのである。
明日も、たぶん、あれあれという間に終わっていくのかな。
今回、初めて最後の宿題を出さなかった。今まで、卒業式の前日に「担任に手紙を書いて来て」という宿題を出して来た。そして、卒業式に手紙を交換するというものであった。実は、夜にその手紙を読んで、泣くということを繰り返して来た。昨日、便せんをたくさん買って来たが、今日、子どもたちを見ながら、ずっと考えていて、やめた。最後の晩はゆっくり過ごすのがいいだろう。
若い頃は、僕がこれだけ思っているんだからと、最後くらいと、子どもにも見返りを求めていたのだろうか。親は、子どものために尽くすけど,決して見返りなど求めはしない。教育も愛情を注ぐけどそれに対して、何も求めないものであろう。
少し、年とったようである。
前を向いて歩き出す者に、呼び止めることはしなくていいだろう、きっと。
もう少しやって寝よう。すぐに明日が来そうだ。